自己肯定力は養えるのか?

by tanabe on October 22, 2004

Justsystemのフォーラムに参加してきました。
その中の明治大学文学部教授 齋藤孝さんの講演から興味深かった話題を。

主題は、『ビジネスパーソンは心と身体をセルフコントロールしよう』
そのために、
・自己肯定力と自己客観視能力を両輪として健全な心のマネジメントを。
・”自然体”による活力に溢れた身体のマネジメントを。
というものでした。


その中から、自分の問題として、身に迫ったものが一つ。
「自己肯定力」という概念です。

不安定な「自己肯定力」

この話のあったコンテクストはこのようなかんじでした。



現代の若者(主に20代の前半)の求めるものは、ミッションである。
「いついつまでに○○を成すこと」というターゲットを与えられるのを
待っている。ミッションを与えられた者は、きっと充分に力を発揮し、
結果を残すだろう。

なぜ若者はミッションを求めるのか?

それは、彼らがバランスの取れた自己肯定の力を身に付けていないからだ。
自己肯定力は本来、幼少期に備えるべきものである。
しかし、この適切なバランスを欠いたまま成長した20代前半の若者は、
無意識の内に自己肯定の機会を求めている。
これを埋めるのが、ミッションである。

「自分自身を認める」という行為によって自己肯定をするのは困難だ。
これは、繰り返しの連鎖を呼び、良い結果を呼ばない。
では、どうやって自己を肯定するのか?



自己肯定力は、価値を認める何かへの挑戦が養う

『自分がやるもの、目指すものに対して、価値を認め、
それに邁進することで、自己肯定力は増していく。』

これが、講演の中で与えられた回答でした。


講演では、ここからさらに自己肯定過剰で、
自分を客観視できない若者の例から自己客観視能力の必要性に迫り、
自己肯定力と自己客観視能力を両立することで、
健康な心が築けるという結論へと進みました。


さて、講演の話はこれで終わりです。
他にも興味深い話は大変多かったのですが、
その話は別の機会へ譲ります。(…あるのか?)



もう一つの鍵、「自己愛」とは?

私は、この話で言うところの”20代の若者”側でしょう。
年齢上はギリギリではありますが、
心の構造的に明らかにそちら側に属しています。
(そもそも講演の対象年齢が40〜50代のマネジメント層を
 ターゲットにした語りでした。きっと25歳は若僧扱いです。)

その当事者として、一つこの話に付け加えます。

現代の若者のアンバランスを理解する鍵はもう一つあります。
それは、自己愛と自己肯定の矛盾です。


齋藤さんの講演の通り、自己肯定については下手な人間が多いと思います。
私の周りを見ても実感します。

ただ、それは「自分はどうでも良い存在だ」と
心から自暴自棄になっていることを意味しません。

自己愛は十二分に育っているのです。
皆、自分は大切で自分勝手なんです。
自分は良い目を見たいし、苦労はしたくない。

でも、自分の能力や社会的なポジション、性格、etc.
考えられるかぎり挙げても、はっきりと自分を肯定できるほどの
何物も存在しないのです。

ここで初めて、言いようもなく、解消しようもない不安や
焦燥、諦めを抱くのだと思うのです。

自己を肯定できるような要素はない。
だから、自分なんてつまらない存在だ、
自分が望んでいた自分の姿ではない、という思い。

そのもっと根っこの方に、
それでも自分は可愛いし、最優先。
他人にも認めて欲しい、愛して欲しい、という思い。

こんな矛盾しきった感情がぶつかり合うのです。
これが不安定の正体です。

自己愛が暴走すれば、自己の客観性が薄れます。
自虐的な性質が勝っている時は、自己肯定の力なんて見る影もありません。

この状態が波打っているのが、現代の不健康な精神の若者ではないでしょうか。
TB先の”現代の若者に蔓延するビョーキ”という言葉は、言いえて妙です。
私のビョーキの原因は、この精神構造による他人とのコミュニケーション不全だと思っています。



以下、余談。
破綻しているので、読まないほうが良いかも。


これは価値観の多様化による必然の結果かもしれません。

「これぞ」と皆で共有できるような”正しい価値”というものが
存在しなくなったため、何をやり遂げても、
はっきりと自己肯定するような機会がなくなったと言えます。

『主席で卒業〜東大〜国家公務員』がエリートとして、
全面的に認知されている時代であれば、それを成し遂げれば
少なくとも瞬間的には自分を肯定できました。

今では学業のエリートで、自分を芯から肯定しているような人間は
薄っぺらで中身のない人間だという印象で語られることも多くあります。
東大卒を額縁に飾って堂々としている人は少数派で、
むしろ社会に出て、そのことを隠すようにしている人すら居るわけです。

これは、学業&人生のエリートだけが価値ある存在ではなくなった証です。
しかしその反面、「じゃあ、どこへ向かえば良いのか」は示されていません。
それぞれの大人が勝手なことを言っています。

この混乱した価値観の中で育った現代の20代が、
自分の価値観を定め、自己を肯定することが苦手なのは
仕方のないことと言えます。


ミッションを与えられた若者は、きっと生き生きと働くでしょう。
そして、ミッションを終えたときに気が付きます。
「たしかに渦中にいると楽しく、やりがいもあった。
 でも、これも自分が本当に求めていたものではなかった。」、と。

これを防ぐには、上司は常にミッションを与え続け、
立ち止まって考える暇を与えてはいけません。

もはや、経営のための話には使える内容ではなくなりますね。