それでもやっぱり「Rubyは楽しい」と言っておこう

by tanabe on November 15, 2005

Matzにっき経由、新山さんのメモから。

どうでもいいけど、Ruby 自身にしろ RoR にしろ、彼らはやたらと "joy" だの "使って楽しい" だのを強調するが、これ自体がそもそも非常にうさん臭い言葉だよな。プログラミングが楽しいのはある意味当然であって、必要以上に楽しすぎる場合はどこかでツケを払う必要が出てくる (そのツケを払うのが自分とは限らない) ということに彼らは気づいているのだろうか。

「楽しいRuby」ってほんまかいな、と思いながら始めてみて、いつのまにかすっかり「Ruby楽しい!」と思ってしまっている者として一応コメントを。たぶん「プログラミングが楽しいのはある意味当然であって」、その楽しさから余分なストレスを少しでも省いていった形がRubyだったりするのだと思っている。

Rubyは「楽しいんだけど○○が××だったらもっといいのになぁ」というような点が比較的「いいかんじ」にクリアされていることが多い。それがいくつも重なっていたりすると、ちょっと離れがたくなってしまう、というかんじ。たぶんそれが、まつもとさんの書かれている

  • プログラマのあるサブセットは共通の嗜好を持ち
  • その集合が「楽しい」と感じるある言語の性質がある

なんじゃないかと。(Railsを作ったDHHも「Rubyは、それはもう、ものすごくフィットしたんです。私の脳に完璧にフィットしました。」と言っているし、まぁ、たしかに感覚的で具体性はない。)

だから実態としては「必要以上に楽しすぎる」ってこともないんだと思う。Ruby自体やRails自体が楽しくてハァハァ言いながらプログラミングしちゃうってことはさすがにないだろうし。(いや、どこかには一人や二人いるのかもしれないけれど)

むしろ、PerlやCのような言語の方が言語自体に楽しさがあるんじゃないと思っている。

「もうほんとC(もしくはPerl)のこういうところってなってないよなー。なんでこんな苦労しなきゃなんないんだよ。ぶつぶつ」(と言いながらにやにや満足気にコーディングしたり。)

Rubyの良さは、うまい料理をホスピタリティの高い店で食べるかんじかな。もちろん料理としてのプログラミング自体の良さがあって、食べる環境(RubyなりRailsなり)がちょうどそれを楽しむのをジャマしないようにセッティングされているともう最高においしいよね。っていう。

まぁ、とってもいまさらの話かもしれませんが。