企業と個人が競争できる時代をもたらすもの

by tanabe on August 17, 2005

ちょうどHarvard Business Reviewで気になって書こうと思った内容が梅田さんのブログにアップされたいた文章とシンクロしたので、こちらを手がかりにしてエントリしてみようと思う。

まずは、Harvard Business Reviewの話をご紹介しよう。DIAMOND Harvard Business Review 2005.9号の「摩擦のマネジメント」(John Hagel III/John Seely Brown)中のコラムだ。

現代の「企業の本質」とは何か

 企業の存在意義とは何か。一つの論文が、研究者や経営者たちの考え方を長らく支配してきた。ノーベル経済学者のロナルド・コースが、一九三九年に発表した”The Nature of the Firm"(企業の本質)である。

  この論文のなかで、コースは「経済活動には必ず取引コスト、もしくはインタラクション・コストが伴う。そこで企業という組織が存在したほうが、市場よりも低コストで資源を調達できる場合がある」と主張した。つまり、企業の存在意義は、主に取引コストの効率化であるというのだ。

  しかしその後、ITが発展し、企業内および企業間のインタラクション・コストは、徐々に低減していった。そこで、そろそろ企業の存在意義について再考すべきときではなかろうか。

 むろん、企業の存在が不要になったというわけではない。むしろ、経済価値を創出する上で、以前とは異なる形で重要な役割を果たし続けるだろう。

 我々が思うに、企業の存在意義は、既存の資源を効率的に利用することから、ケイパビリティの構築と組織的なイノベーションの創出へと変わってきている。

 単に、コア・コンピタンスは戦略の基盤という意味ではない。それよりも―たしかにそれとも関係するが―「コア・コンピタンスは企業の存在意義そのもの」なのだ。

 これからは、最も効率よくケイパビリティを構築できる企業だけが価値を創造し続ける。それ以外の企業は、朽ち果てるしかない。

これを読んで思ったのが、たしかにすべてではないにしても、少なくとも一部の分野については確実に企業としての形態をとるメリットは薄くなっていくであろうということだ。

コースの主張した「企業という組織が存在したほうが、市場よりも低コストで資源を調達できる場合がある」という話は、いわゆる規模の経済である。これが、ITの発展によりインタラクション・コストが大幅に低下したことで、従来ほど大きな差(競争優位性)として働かなくなってきたという内容だ。

このコラムでは、新しい企業の存在意義は「ケイパビリティの構築」と「組織的なイノベーションの創出」だと言われているが、これは企業という形態を維持するならば、少なくともこれが必要になる、というものだろう。

もし企業という形態にこだわらないとしたら、将来的にスケールメリットがかぎりなく0(数値的にゼロなのではなく、相対的にゼロとみなせる程度に抑えられる)になる分野であれば、そこでは個人と企業が対等に競いあうことが可能になるかもしれない。

「三人寄れば文殊の知恵」は今でも大事な教えだが、これは何も企業という組織の形態をとらなくてもその成果を得ることができるということを、インターネットは教えてくれた。むしろ組織や委員会よりもよっぽど効果的であることも多いのだ。組織を組むことは必要条件ではないだろう。

ビジネスモデル、コア・コンピタンス、継続的な利益回収の仕組み、どのような言い方でもいいが、競合する相手よりも優れたものを持っていれば、他はアウトソースすることで個人が企業と戦うことができる時代が来るかもしれないのである。

 

そして、そのようなコンテキストの下で梅田さんのブログを読んだため、意外と本当に「インターネット上にできた経済圏に依存して生計を立てる生き方」は近い将来の現実なのかもしれないと思ってしまった。

「ネット副業の達人」書評
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050816/p2

 私がいま最も注目している「次の十年」の大変化の「芽」は、「インターネット上にできた経済圏に依存して生計を立てる生き方」である。インターネット上に自分の分身(ウェブサイト)を作ると、リアルな自分が働き、遊び、眠る間も、その分身がネット上で稼いでくれるようになる世界。

(snip)

本書は「インターネットを使った副業で本当に稼いだ20人の記録」である。「副業」という言葉からもわかるように、現代の常識はこの20人を傍流としてしか見ない。日本で最も先端的な生き方をしているにもかかわらずだ。益子焼和食器、ミャンマーの天然石、手作りの「犬服」を売るビジネスは、ネット販売と言うよりもプロデューサーと呼ぶべき性格の仕事だ。

(snip)

検索エンジンや広告配信インフラの登場によって、リアル社会では結びつく可能性すらなかった個と個の間の微細な需給関係までをもきめ細かくマッチングできるようになった。それらが、小口決済インフラ、日本中に行き渡ったリサイクル・ショップや宅配便等のリアルなインフラとも結びつき、経済圏としての可能性は大きく広がった。(snip)こうした一連の変化によって、個人が不特定多数無限大の人々とつながるコストは限りなく小さくなり、元手(資本)がほんのわずかでも、何かを始めることができるようになったのだ。

 

そして、話は大きく跳んでしまうのだが、SOAの語られるべきコンテクストも実はこの辺りにあったりするんじゃないかと思ったりしている。

SOAとWeb2.0
http://www.arclamp.jp/blog/archives/000652.html

 SOAをWeb2.0のように、シェアと再構成という文脈で考えればいろいろなアイデアが浮かぶ。Web2.0のオープン・データのコンセプトを企業内で行えばどうなるのだろうか?SOAの元々のコンセプトは、APIを公開しレポジトリを通じて様々なサービスを提供することにある。なぜ、こんなにも Web2.0と乖離しているのだろうか。SOAがイノベーティブな価値を生み出す可能性をもっと語るべきではないだろうか。

SOAはサービスどうこうという切り分けよりも、データの再利用を図りましょうということだと捉えている。そして、「SOAがイノベーティブな価値を生み出す可能性」としてはそれ自体がイノベーションとなるというよりも、色々な可能性を実現するプラットフォームを築くものなのだと考えている。

つまり、今までは企業のようなスケールを持つものしか利用できなかったようなデータが、Webサービスを介して容易に再利用できるようになってくる。例えば、GoogleMapsのように。これまでの常識では個人がmap.rails2u.comのような優れた地図ソフトを作れるような可能性はなかったのだ。

こうして実現されるのは、やはりインタラクション・コストの大幅な低下であり、個人であれ企業であれ、「一つの競争優位な仕組み」自体の相対的な価値の向上なのだと思う。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 09月号 [雑誌]

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