Googleの起こしたい「知の創出」

by tanabe on June 23, 2005

ひさしぶりに梅田さんのところからネタを持ってきてみる。

"My Life Between Silicon Valley and Japan"の『「知の創出」のコモディティ化への戸惑い』を読んで思ったこと。

「対人能力は陳腐化しないよね」と僕は「これからの10年飲み会」の冒頭で話したが、そのときにイメージした「対人能力」のベースっていうのは、Ringo氏の言葉である「人間に対する興味」と全く同義だ。それさえあれば「対人能力」は場数を踏んでいくと、どんどん磨かれていく。

という考えと比較して、Googleのそういったウェットな能力への思いが書かれている。

今のグーグルの技術陣ってのは、「対人能力なんてものは要らんのだ、頭さえよければ」というタイプのハッカーにとっての「最後の楽園」という感じがする。だから世界中から入社希望者の列ができているのではないか。グーグルが「狭き門」化していて、グーグルに入れなかったハッカーたちが「グーグルしか行きたいところないんだよなぁ」と言っている姿を見ると、これは何かを象徴しているのかもしれないなぁ、なんて思ったりする。

うーん、Googleって「対人能力は陳腐化しない」を百も承知で、「だからこそ、そいつを覆したらとんでもないパラダイムシフトを引き起こせるだろ?」っていう悪戯心があるのだとずっと(勝手に)思っていたのだけど、違うんだろうか?

この信念があるから、あれだけ偏執的に技術で全てを変えられるという世界を突っ走れるのだと思っているんだけど。

あれ、それともそういう前提で、それでもそう考えているのはGoogleだけしか今はいないよね、っていう話なのかな?

ちょっと時間がないので、理由を説明するような資料やインタビューを探せない。不本意だけどここでエントリ。