My Life Between Silicon Valley and Japanの「RSSとページビュー」 や Wired News の「サイトの体裁を変えるFirefox拡張機能『グリースモンキー』」なんかを読んで、Web の姿が変わってきているよなぁと改めて感じた。
「HTMLで構造を、CSSで見た目を。」というのは常套句だが、この見た目とコンテンツの分離というか、コンテンツの見た目からの独立はますます加速しているような気がする。
Web コンテンツはストリーム化している
AMAZONやdel.icio.us、あるいは日本のはてなのようにAPI を公開し、コンテンツを外部から利用できる仕組みを提供するような流れも大分浸透してきており、それがまたコンテンツが単独で存在することを後押ししている。RSS feed なんかも加速を後押しする技術の一つといっていい。
そして、かつてはページ単位でいわゆる「ホームページ」文化だったWeb が、「コンテンツのストリーム」という捉えられ方へ移っているのを感じる。
『特定のホームページへ自分で情報を取りに行く』というスタイルから、『自分の前を流れ続けるコンテンツから、必要な情報だけをピックアップする』というスタイルへ変化しているのを感じるのだ。
これによって、自分で情報を管理するというよりも、ただ自分の所へ流れ込む情報の中から”必要なものだけを見えるようにする”という工夫が重視されてきているのだ。プッシュ型とプル型の違いと言っても良いかもしれない。
ストリーム化したコンテンツの世界では、「その情報が誰からのものか」はあまり意識されない。誰から発せられて誰に所属するのかというのにはあまり意味がなく、情報自体の価値の方が重視され、最初の情報の発信者の手を離れて情報自体が動き出す。
まだ、このことが持つ力や効果ははっきりとしていないけど、もう少しこの流れが強まるであろう2〜3年後のWeb の姿、あり方というのは今とは大きく変化していると思うのだ。
コンテンツは独立していく
最初の話に戻り、「見た目とコンテンツの分離」から「コンテンツの独立」へのシフトについての話をしよう。「サイトの体裁を変えるFirefox拡張機能『グリースモンキー』」から引用しながら話を進めることにする。
見た目とコンテンツの分離というのは、そもそもはシステムの作り方・設計の仕方としてユーザーインタフェースと実際の動作を制御する部分は分けて管理しましょうという発想から出ていると思う。これは主に作り手・発信者側の問題であった。
ただ、今はそれがもう少し違った視点として、コンテンツは誰のものなのか?見た目は誰のものなのか?という受け手側も巻き込んだ動きになってきているように感じる。
グリースモンキーは、サイトのデザインや使い方の REMIX を可能にする。見た目や使い方という部分は受け手のものだという考え方だ。
『Firefox』(ファイアーフォックス)の一部のユーザーたちが、改造したブラウザーを使って、好き放題にウェブサイトに手を加えている。
こうしたユーザーは、『Gメール』(Gmail)に削除ボタンや常時検索フォルダを追加したり、ブラウザーがオンライン版ニュース記事の印刷ページだけを表示するようにしたり、人気のある音楽サイトのコンテンツを丸ごと再構成したり、オンライン・ニュースリーダー『ブログラインズ』からロイター通信が報道するマイケル・ジャクソンの記事を取り除いたりしている。
こうした変更は、Firefoxの拡張機能『グリースモンキー』によって可能になった。グリースモンキーを組み込んでカスタム・スクリプトをロードすると、特定のウェブサイトを訪問するたびに、ページの体裁を変更して表示できる。
一番価値を持っているのは”情報そのもの”としてのコンテンツであり、その一番価値があるものを一番使いやすい形で利用すれば、さらに好都合なんじゃない?ってのがこの考え方だ。
同じ家具を使うとしても、配置や使い方は人それぞれだ。やっぱり自分が使いやすいように扱うのが快適なんだろう。それが家具と同様に”日用品”となった Web の情報にも求められることなんだと思う。
だから、私はこのグリースモンキーが流行るかどうかはともかくとして、このようなコンテンツを独立して扱い、より使いやすいようにするというスタイルは今後どんどん発展していくだろうなぁと感じている。
データの綱引きの勝者は?
そして、この流れの中で「データは誰のものか」というのが一番の焦点になっている。
背景には、「Web上へユーザーのデータを移すこと」が進行する中で、「ユーザーの囲い込み」と「何が誰のためのものか」という考え方がせめぎ合っているというのがある。
梅田望夫氏がかつてCNET JapanのBlogで「「こちら側」から「あちら側」への情報シフトが始まる」と指摘したように、実際にこの一年でかなりの情報シフトが進んだと思う。(特に新し物好きの人たちの間で。)
そして、そのサービスを提供している者には、いかにユーザーを囲い込み、自分たちがプロプライエタリな存在になるかという重要なテーマがあった。Web の世界ではユーザー数がそのまま競争力につながることもあり、なんとかユーザーを集めたいという思惑があったはずだ。
しかし残念ながらこの考え方は、オープンにしてこそその本来の強力さが発揮されるWeb という環境や、その先進的なユーザーたちにはあまり馴染んでこなかった。
ユーザーにしてみれば、サービスを通して入力したデータに関しては自分のデータ、という意識が強い。Webのアプリケーションが高度化し、よりユーザーにとって日用的で重要なデータがWebへ移るにつれて、その意識はますます強くなっている。
ユーザーとサービス提供者が互いに互いを必要としている中で、「何がどこまで誰のものか」についての綱引きを互いにしているのが現在の状況だろう。
あまり上手に言いたいことがまとまっていないが、こういった中でコンテンツや情報、データと呼ぶような本質的な競争力を持っているものが誰の手中に収まるのかというのは、非常に興味深い問題なのだ。