「プロプライエタリ・ソフトウェアに学ぶ新規ユーザー獲得法」を読んだ。大分違和感を感じた。細かくツッコミたいところも多かったのだが、アゲアシをとっても仕方ない。一番主張したかったであろうことへ切り込んで、それだけに止めようと思う。
「プロプライエタリ・ソフトウェアに学ぶ新規ユーザー獲得法」を読んだ。大分違和感を感じた。細かくツッコミたいところも多かったのだが、アゲアシをとっても仕方ない。一番主張したかったであろうことへ切り込んで、それだけに止めようと思う。
オープンソース全体がコミュニティとして、こうした点を真剣に追求すれば、オープンソース・ソフトウェアの利用と人気は急速に拡大するだろうと思うのである。
「こうした点」とは、「単純なインタフェース、直感的にわかりやすく配されたメニュー、アプリケーション間の完璧な連携、合理的なデフォルト設定。」のような「すぐに成果を手にできる扉を入門者にわかりやすく用意することの重要性」を指すのだろう。
こうした努力を続けることで、魅力的で、取っつきやすく、ユーザーが繰り返し使ってくれるようなソフトウェアが現れてくるのだ。
クリス・シェイファー氏の愛情はよくわかった。きっと彼はいいやつだ。私もオープンソースのソフトウェアたちが好きだし、愛用するソフトウェアは両手で数えても足りるものではない。
ただ、本当に彼の主張するようなソフトウェアがオープンソースソフトウェアとして求められているのだろうか?
特にLinuxにおいては、その疑問を強く感じた。「単純なインタフェース、直感的にわかりやすく配されたメニュー、アプリケーション間の完璧な連携、合理的なデフォルト設定。」とは、まさにWindowsにこそ求められてきたことだ。(成功しているかどうかはともかくとして)
Windowsは世界のスタンダードなOSだし、ほとんどの”パソコン入門者”たちはWindowsに触ることになる。だからこそ、Windowsはメジャーバージョンアップを繰り返す中で、まさに「単純なインタフェース、直感的にわかりやすく配されたメニュー、アプリケーション間の完璧な連携、合理的なデフォルト設定。」のために工夫を重ねてきたわけだ。
はたして、Linuxにそれらが求められているのだろうか?たしかに”Windowsのように”普及するには必要かもしれない。しかし、Linuxの魅力は、少なくとも現時点での魅力は、Windowsのそれとは大きく異なる。なぜハッカーがLinuxを使うのか?それは、Linuxが強力だからだ。自分で制御することができる部分が大きいし、必要があればかなりコアな部分まで作用するプログラムを自分で作ることもできる。Linuxの魅力は制限のなさなのだ。
一方で、新しいユーザーを、特にライトユーザーを採り入れるためにはこの制限のなさは難しい問題となる。強力さと安全さは二律背反だ。安全は、強力さを制限することで得られる。OSやプログラミング言語のような「なんでもしなければならない存在」にとっては、この両者を上手に両立するのは非常に困難だ。入り口だけを広げてみても、この問題は解決されずに残る。少なくともWindowsのような使い勝手を持ち、そしてLinuxらしい強力さを維持したOSはそう簡単にできるものではない。かといって、WindowsのようなLinuxとLinuxらしいLinuxの二種類を用意するというのもナンセンスだ。WindowsのようなLinuxを使うくらいなら、Windowsを使えばいい。
シェイファー氏の話が意味を持ってくるのは、何か特化した役割を持つソフトウェアだろう。初心者でも使いこなせる間口の広さを持ち、自分の役割に関しては徹底的に強力であることを目指す。これなら不可能ではないと思う。実際、オープンソースソフトウェアにはこういった特徴を持つソフトウェアが多い。
オープンソースソフトウェアにキラーアプリケーションを求める必要はないのではないか?すでにオープンソースソフトウェアは、適材適所で生かされる道を見出し始めている。Open Source Paradigm Shiftの受け売りで恐縮だが、たしかにオープンソースのソフトウェアは爆発的に普及しているわけではないが、それによって構築され提供されている多くのサービスは私たちの生活の中心を占めるようになった。オープンソースソフトウェアは、オープンソースソフトウェアの良さがある。それを生かせばいい。プロプライエタリなソフトウェアと競争をしなければならない理由などない。
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自分の考えを深めるためにとりあえず書いてみたけれど、やっぱり、「それでオープンソースソフトウェアの良さって何?」って疑問は消えないなぁ。