昨日に続き、Paul Graham。今日は川合史朗氏のサイトにある翻訳から。「Pythonのパラドックス ---The Python Paradox」
「私が最近行った講演は、たくさんの人を怒らせてしまったようだ。JavaのプロジェクトよりもPythonのプロジェクトの方が賢いプログラマを集められる、という部分だ。」
という、興味を惹く出だしのこの短文は非常に面白い指摘をしている。
昨日に続き、Paul Graham。今日は川合史朗氏のサイトにある翻訳から。「Pythonのパラドックス ---The Python Paradox」
「私が最近行った講演は、たくさんの人を怒らせてしまったようだ。JavaのプロジェクトよりもPythonのプロジェクトの方が賢いプログラマを集められる、という部分だ。」
という、興味を惹く出だしのこの短文は非常に面白い指摘をしている。
「新しい言語を学ぶには相当の努力が必要だ。そして、Pythonを学ぼうという人は、それで就職できるという理由で学ぶわけじゃない。プログラムが本当に大好きで、それまでに知った言語に満足できなかったから学んだわけだろう。」
「会社は、ソフトウェアを比較的難解と思われている言語で書くことにすれば、より良いプログラマを集められる。そういうプログラミング言語を学ぶに十分な熱意を持ったプログラマだけを集められるからだ。」
これがその指摘だ。
会社が良いプログラマを集めたければ、PythonやRubyのような新しいプログラムに敏感な人たちを集めることだということ。なぜなら、その人たちはプログラミングへの熱意を充分に持っており、その情熱から良いプログラマである可能性が高いという話である。(Graham氏はPerlも挙げているが、Perlについては私は少しだけ疑問を感じている。Perlの歴史の長さ故に、ピンきりの人が集まってしまうような気がして。)
たしかに私がこれまで出会ってきた人を考えても、どこか強みのあるプログラマの人は必ずその時に本業の傍らでいじっている言語なり、新技術があった。面接の場で、「技術革新の流れの速い業界ですが、対応していく自信はありますか?」なんて陳腐な質問をするくらいなら、よっぽど事実を語ってくれそうだ。
「ただ、ひとつ言えることは、PerlやPythonは、 Rubyと(そしてIcon、Joy、J、Lisp、Smalltalkとも)同じように、プログラミングを本当に愛する人々が作り、そういう人々に使われているという共通の事実があるということだ。そして、彼らこそが、素晴らしいプログラムを生み出すのじゃないだろうか。」
ちなみに私はこれだけGraham氏の文章を取り上げているが、別に氏の意見に全面賛成というわけでもない。細部では違和感を感じる記述もあるし、またあまりに大きいLispへの愛情と自信には疑問を感じる部分もある。ただ、それでも一プログラマとしてGraham氏の信念の基本的なところは非常に共感する。プログラミングは美しくあるべきだ、というのはもっと声を大にしてアピールしてもいいと思う。(最近の日本のIT業界では流行らないだろうが。)