Paul Graham 「ハッカーと画家」−ものつくりのセンス

by tanabe on March 13, 2005

Paul Graham 「ハッカーと画家」の「ものつくりのセンス ---Taste for Makers」から。

「ものをデザインする我々のような立場にとって、これは単なる理論的な問題じゃない。美というものが存在するなら、我々はそれをきっちり認識できなくちゃならない。良いものを作るには、良いセンス、美を見分ける力が必要なんだ。美を実体のない抽象概念として扱って、それについてたわごとを並べたり逆にそれについて議論することを避けて通ったりするのではなく、現実的な問題として考えてみようじゃないか。「どうやったら良いものが作れる?」 」


プログラミングにおいては、間違いなく美しいプログラムというものは存在している。ただ、それは生まれ持っての天才性が生むものではない。

「他のどんな仕事とも同じように、ものをデザインする仕事を続けていればだんだんうまく出来るようになってくる。センスが変わってくるのだ。そして仕事が上達する人は誰しも、自分が上達してくるのがわかる。だとすれば、あなたの古いセンスは単に違うというだけでなく、今より悪かったのだ。センスに正しいも間違いも無いなんて定理、誰が作ったんだい? 」

上達してみないと、センスが悪かったということは認めにくい。誰でも自分はセンスがないと思うよりも、自分の好みは違うんだと思う方が楽だからだ。ただ、そう考えてしまうと成長が止まってしまう。今の自分は不十分だと自覚をして、少しずつセンスを育てるのだ。

そして、ここからは良いデザインの性格が述べられていく。特にプログラミングへの影響が強いもの、プログラミングへの言及があるものを取り上げたい。

良いデザインは想像力を喚起する。

ソフトウェアにおいては、ユーザーが自分の思う通りにまるでレゴのように組み合わせることができる少数の基本要素を提供すべきだ。」

ソフトウェアが人々に使役されやすいようにデザインすべきという話。人々を使役するためにソフトウェアがあるわけではない。

良いデザインは簡単に見える。 偉大な陸上選手のように、偉大なデザイナーはデザインをいとも簡単に見せる。ほとんどの場合、それは幻想だ。読みやすい会話調の良文は8回目の書き直しでようやく得られる。 」

「多くの分野で、一見簡単そうなことは練習によってもたらされる。練習の効用とは、意識しなければできなかったことがらを無意識の中でできるようにすることなんだろう。」

他の分野でも必ず言えるのかはわからない。ただ、プログラミングにおいてはこれは絶対の真実だ。

良いデザインは再デザインだ。 最初からうまくできるということは滅多にない。熟練者は初期の仕事は捨てるつもりでやる。計画が変更されることを予定してかかるのだ。 」

「間違うのは自然なことだ。間違いを大失敗のように考えるのではなく、簡単に見付けて簡単に直せるようにしておくことだ。ダ・ヴィンチは絵画においてより多くの可能性を試すことができるようにスケッチを発明したと言っても、当たらずとも遠からずであろう。オープンソースソフトウェアはバグの可能性を認めているがゆえにバグが少ない。」

この辺は熟練者だからこそ、初期の仕事を捨てることを躊躇せずに済むとも言える。それでも初心者だって、間違いを簡単に直せるようにデザインしていくことでより良いデザインに近づくことはできる。そして、初心者だからこそ再デザインをできるようにしておくべきとも言える。

良いデザインは集団で生起する。

現在、アメリカ合衆国には15世紀のフィレンツェの人口の約1000倍の人々が住んでいる。 1000人のレオナルド、1000人のミケランジェロが我々の中にいるはずだ。 DNAが全てを支配するなら、こんにち我々は毎日のように素晴らしい芸術に驚嘆しているはずではないか。現実はそうではない。レオナルドがレオナルドになるには、生まれながらの能力以上の何かが必要なのだ。1450年のフィレンツェが必要なのだ。

関連した問題を解こうとしている才能ある人々のコミュニティほどパワフルなものはない。それに比較すれば遺伝子の影響なんて小さなものだ。遺伝子的にレオナルドであるだけでは、フィレンツェではなくミラノに生まれてしまった不利を打ち消すことはできない。現代では人々の移動は激しいが、良い仕事は依然としてごく少数の「ホットスポット」から集中して出てくる。バウハウス、マンハッタンプロジェクト、「ニューヨーカー」、ロッキードのスカンクワークス、そしてゼロックスのParc。

どんな時代にも、少数のホットなトピックがあり、それに向けて多くの仕事をなす少数の集団がいる。それらの中心から遠く離れてしまっていては、良い仕事をするのはほとんど不可能だ。このような流れを押しよせたり引き寄せたりすることはある程度できるが、完全に逃れることは出来ない。 (いや、あなたなら出来るかもしれないけどね。でもミラノのレオナルドには出来なかった)。

この話はなかなかに衝撃を受けた。そして、思い出したのは梅田氏のバンテージポイントの話だった。センスを磨きたければフィレンツェへ行け。シリコンバレーへ行け。この話はいわゆるエンジニアのキャリア論の一方で、私の心を掴まえて離さない。いつも意識をしている。

実際問題としては、美を想像するよりは醜に目をやる方が簡単だと思う。美しいものを作った人々の多くは、彼らが醜いと思ったところを直していったのだと思える。誰かが何かを見てこう考える:「俺ならもっとうまくできる」。これが偉大な仕事の発端なのだろう。(略)

醜いものを許せないだけでは十分ではない。どこを直せば良いのか知る嗅覚を得るためには、その分野を十分に理解していなければならない。しっかり勉強しなくちゃならないんだ。だがその分野で熟練者となれば、内なる声が囁き出すだろう。「なんてハックだ!もっと良い方法があるはずだ」。この声を無視してはいけない。それを追求するんだ。厳しい味覚と、それを満足させる能力。それが偉大な仕事のためのレシピだ。

実際問題として、真剣に取り組んでいれば1年前の自分というものはそれ自体「なんてハックだ」となるだろう。見られたものじゃない。プログラミングのセンスは本当に凄い勢いで伸びていく。大体、頂点にいる人たちからして、まったく完成されていないのだ。皆が皆それぞれの思惑から美を語る。まだまだレオナルドとなるチャンスは残っている。

私信)

おおいゆうすけ様

お返事TBまで行き着きませんでしたorz

忘れているわけではありませんので。。


この記事へのコメント
ぅあ〜。
お忙しいでしょうし、他に書きたいエントリーも多いでしょうから、無理はなさらないでください。
どんなエントリーも興味深く読ませてもらいますので。
しかしこのblog読んでると、「ハッカーと画家」読まなくても十分満足な気がしてきちゃいますね(笑
Posted by ゆうすけ at March 14, 2005 23:47
他に書きたいエントリというわけでもなく、今一番書きたいのは返事TBの話だったりするのですが、まだもう一つ自分の書きたい内容がまとまっていないもので。。

「ハッカーと画家」はこのブログではめちゃくちゃ不足ですよ。気になった所の抜粋だけなので、原文読んで頂くともっと濃く楽しめます。川合史朗氏のサイト(http://www.shiro.dreamhost.com/scheme/index-j.html)での翻訳を読めば本を買わなくてもOKというのはちょっと私も思っちゃいましたが、サイト上にはない章もあることですし、手元に一冊をオススメしておきます。
Posted by zep716 at March 15, 2005 04:15