CNET Japanの「ニュースをオープンソース化せよ--Wikiの挑戦」 を読んで。
既存のニュースメディアの報道姿勢については、日本でも諸説出ているが、米国でも同様らしい。そして、そのカウンターとしてwikiの共同プロセスを採用したWikinewsというプロジェクトが立ち上がっている、という話。
CNET Japanの「ニュースをオープンソース化せよ--Wikiの挑戦」 を読んで。
既存のニュースメディアの報道姿勢については、日本でも諸説出ているが、米国でも同様らしい。そして、そのカウンターとしてwikiの共同プロセスを採用したWikinewsというプロジェクトが立ち上がっている、という話。
--中立性をどうやって確保するのですか。ボランティアも偏った考え方を持っているかもしれません。思想の偏向は記事の選択にも影響します。
その通りです。偏った観点を排除し、客観性と中立性を確保するための絶対的な方法はありません。しかし、wikiプロセスの仕組みとそのオープン性のおもしろいところは、さまざまな観点を持つ人々を広範に満足させる文章でなければ、wikiプロセスを通過することはできないということです。このため、執筆者は自然と偏見のある表現を避けるようになる--つまり、記事に含みを持たせることができなくなるのです。
この場合に難しいのは、「さまざまな観点を持つ人々を広範に満足させる文章」が「事実を正確に述べていること」とはイコールではない点だろう。つまり、大勢にとって受け入れやすい観点であれば、必ずしも最も事実に正確な記述ではなくてもwikiプロセスを通過してしまうとも言えるということだ。
「--Wikinewsは今後、どのように展開していくのでしょうか。主流メディアと共存することになるのか、それとも取って代わるものとなるのでしょうか。
まず、私はWikinewsが主流のメディアの代替品になるとはあまり考えていません。」
「 しかし、われわれは主流のメディアに新しい形の反応を返したり、ある意味では論評を加えたりすることはできるでしょう。この点では、すでにブログが重要な役割を果たすようになっています。質の高いブログは、質の高い社説欄のようなものです。」
「ブロガーが社説、あるいは社説に対する反応だとすれば、われわれは第一面に対する反応です。Wikimediaはさまざまな情報源が伝える情報を統合(synthesize)するものとなります。」
「情報源の情報を統合」という視点で考えると、やはり気になる疑問は「中立性を保てるのか?」である。
最終的に判断を記事に織り込むということは、その判断を下すための「事実の抽出」や「因果関係の整理」、そしてそれらを受けての判断が必要となる。「事実の抽出」ではどの事実を抽出するのか、「因果関係の整理」では何と何を因果関係で結びつけるのか、といった部分でやはり恣意性が介在する余地が出てくる。
はたして、この過程をwikiのプロセスは精査できるのか?Wikipediaは事典という性格上、比較的判断を負うことは少ない。一部では歴史の解釈などで判断が必要な部分もあるが、大抵は複数の視点を提供することでその責任を回避し公平な内容をキープしているようだ。問題はこのプロセスをnewsという即時性の強く要求されるメディアで徹底できるか、だと思う。
「--しかし、あなたがたとえばSt. Petersburg Timesの記者よりも信用できるとどうしていえるのですか。wikiの参加者はどうすれば信頼を得られるのでしょうか。
それはプロセスです。wikiのプロセスが信頼を生み出すのです。しかし、何よりも重要なのは結果でしょう。今の時点では、これがうまくいくかどうかも分かりません。半年たっても、われわれがまだ偏見に満ちた歪んだ記事しか書けず、目も当てられない状態であるなら、Wikinewsは閉鎖します。われわれは何よりも中立性を重んじているからです。」
さらにwikiのプロセスへかかる新たな負担として「事実が真実であることの検証」が発生する。newsであるという性格から、大勢が共通の情報のプラットフォームを持ち、じっくりと時間をかけて情報の完成度を高めるというプロセスを経ることができるのは一部のnewsに限られるだろう。極めて限られた人数の者が「新たな事実」として持ち込んだ情報は、どのようにその信憑性の検証をするのだろうか?少数しか知らない事実だから虚偽とするのでは、wikiのプロセスを生かせないように思う。かと言って、レアな事実を検証する術はあるだろうか?難しい問題のように思う。
むしろ大きいnewsに関しては、豊富な情報が集まり、事実の検証も行うことができ、精度の高いnewsをキープできるのかもしれない。ただ、これに関してはブログを見て回ることでも、ある程度同様の情報を得ることも可能なような気もしてくる。
wikiのプロセスはnewsへどこまで通用するのか。そして、wikiによるnewsだからこそのメリットは何か。ゆっくりと見守ってみたい。
# 追記
「ニュースをオープンソース化せよ--Wikiの挑戦」へのトラックバックの中から、「IT業界人のブログ挑戦日記」さんの「Wikipediaの次はWikinews」
記事によるとWikinewsではメディアの中立性というものを非常に重要視するそう。しかし、そもそも中立性というもの自体が普遍的なものでなく、メディアとはすなわちある側面から見たものの見方であると私は思うので、この辺りは疑問符が付くところ。
これは全く同感。出来事の中から何を事実として切り取るか、にすら人の意思が働く以上、完全な中立というものはないと思う。また、あるnewsに対してイラクとアメリカ双方から見て中立な立場というものがあるかというと、ないと思う。そういう意味で、私も中立性をゴールとしているこの記事には同様の疑問を感じた。
ただ、おそらくはJimmy Walesの目指すところは、+100でも-100でもなく振れ幅が+-20〜30くらいにおさまる”比較的”まともな事実ばかりが出ているnewsなのではないかという気もしている。(まぁ、wikiのoutputとしてはそういう中庸的なものになる傾向が強いわけだし) 日本で言えば、朝○や読○よりはマシでしょ?っていうラインかと。