ネット世代の情報感覚とは?

by tanabe on January 28, 2005

以前のエントリ「ネット世代論」考で予告していた「ネット世代の情報感覚」の話。

ネット世代と言われる人々とそうではない人々との違いとして、情報の捉え方にも違いがあるように思う。

従来は、直接唯一の真実へとアクセスしていた

従来は、スタンダードのある時代だった。思想的な対立などは当然存在したが、一般的に情報として捉えた場合、何か一つの「正しいとされる情報」があった。絶対的に真実という意味ではなく、世間ではそれが真実だと認知されるスタンダードが存在した。

例えば、スタンダードと認められやすかった情報としては、学術書、新聞、公的な情報などがあり、それらを唯一のright answerとして受け止める傾向があった。ドキュメント化された連続した情報があり、その情報単体で真実として機能することができたのだ。


ランダムな情報をまとめ、自分の真実を作るネット世代

一方で、ネット時代の今日は、マルチスタンダードの時代である。ただ一つの真実と皆が認めるものはなく、それぞれが各自の信じる真実を感知していく。

インターネットでの情報、新聞での情報、週刊誌での情報、様々な情報があるがそれら一つ一つのどれか一つに信を置くということもなく、全体像をぼんやりと把握した状態で浮かび上がってくる、なんとなく共通して事実とされているものを得る。

アトランダムな情報をたくさん集め、それらをパッチワークのようにして求める情報の側面とし、中央にぼんやりと浮かび上がる真実らしきものをえいやっと掴み取るのである。

それゆえ、the right answerを求めることはなく、その代わりに手がかりとなる数多くのgood informationを求めている。そうして集められたgood informationは、非常にランダムなものの集合となるので、最後に自らの主観を軸として連続した情報へと統合させる。こうして主観的には事実と呼ぶべき情報ができ、自らの現実の一部となっていく。一度自力で探し構築した情報への信頼は厚い。

この裏には、漠然とした「大きいもの」「多いもの」への信仰のような面もあるかもしれない。「皆が認めることだから、真実なのだろう。」もしくは、「単体での情報はアテにならない。ただ、皆が皆認めているものであれば、おそらく真実なのだろう。」という感覚である。これは、Googleの「リンクされる情報は良い情報」という理屈へも通じるものがあり、いいかげんな感覚のようだが真実味があると思う。

例えば、私の親などはそれほどネットを使って情報を探すのは得意ではない。どうやら「全ての真実が書いてあるサイト」を求めて検索をしているらしく、最終的には適したものが見つからず、私へ頼ってくることがある。これは最終的に、”様々なサイト”に比べると信頼の置ける一つの情報源、つまり息子である私へとその情報検索のターゲットを移してきた、とも見ることができる。けっきょくの所、求めているのは「信用のできる一つの情報源」なのだ。

しかし私はその”様々なサイト”から適宜情報を抽出し、構築しなおし、信用を置けると判断したレベルの情報の塊を回答とするだけなのである。

ネット世代の情報感覚とは?

結局のところ、ネット世代の情報感覚の特徴は以下の3つに集約されると思う。

  • 一つの情報が負担するウエイトが軽い
  • 情報の数で情報の質を向上させる
  • 主観的に情報に接する

# このランダムな情報をザッピングするという感覚に慣れているため、コンテクストを読み取り把握する能力には課題があるような気もする。