「トーバルズ、Solarisを斬る」ということで、CNET
JapanでのLinus Torvalds氏のインタビュー記事。
勇ましいタイトルだが、別にSolarisを斬ったわけでもないような。LinuxにとってのSolarisという視点からSolaris解析の必要性を否定しているだけなのでは。むしろ読むべきはLinuxの短期ヴィジョンがどこを向いているのか。そして、現代の巨人でもあるTorvaldsの思考、思想。
私は証明された概念というものが大好きです。ヒーローを1人挙げろといわれれば、迷わずSirIsaacNewtonを選ぶでしょう。彼が歴史に名をとどめた偉大な科学者であることも理由の1つですが、もっと大きいのは彼が遺したあの有名な言葉かもしれません。Newtonは「私が他の人より遠くを見ることができたとすれば、それは巨人の肩に乗ったからだ」といいました。
実際のNewtonは、必ずしも好人物ではなかったかもしれません。しかし、この言葉は科学を、そしてオープンソースをうまく言い表していると思います。重要なのは巨人の肩に乗り、他人の概念やアイデアの上に、改善を積み重ねていくことです。
新しいこと、変わったことがしたいという理由で、ゼロから新しいもの、変わったものを作ろうとするのは、私にいわせれば愚の骨頂であり、思い上がりです。Linuxが目覚ましい成果を上げているのは、細事にこだわり大事を逸する愚を犯していないからです。しかし、この穴に陥るプロジェクトのいかに多いことか。NIHシンドロームは病です(編集部注:NIHはNot
Invented Hereの略。NIHシンドロームとは他所で開発された技術を嫌い、自社の研究成果にこだわる考え方のこと)。
この辺りの話は伊藤氏の「高速道路」観と通じます。
Linuxが超えようとしているのは「他のソフトウェア」ではなく、常に自分自身です。ですから、Solarisをいじくりまわす理由は特にない。Solarisに特筆すべき点があるなら、誰かが喜んで教えてくれるでしょう。
それに、もし私の考えが間違っていたとしても問題はありません。私よりSolarisを知っている人々が、Solarisの良い点を私や仲間たちに教えてくれるからです。それを自分で見つけようとするのは時間の無駄です。
結局、Solarisについてはこれに尽きますね。現状の情報では、Solaris10にサプライズはない。だから、特別に気にかける必要もない。もし、なんらかのサプライズがあれば誰かが教えてくれるだろうから、それからで充分に間に合う。それよりも自分のLinuxのことに集中する必要があるのだ、と。
そして、いよいよLinux自身の話へと話題は移っていく。
やるべきことは他のシステムではなく、ユーザーが教えてくれます。「UnixではYができたのだから、Linuxもそうするべきだ」という人はまずいない。そもそも、私はこの手の主張の正当性を信じていません。人々を悩ませているのはむしろ、「Xをしなければならないのだが、その方法が分からない」とか、「やり方はあるのだが、Yのせいでうまくいかない」といったことです。ここからアイディアが沸くのです。
だからといって、2.7.xが登場しないわけではありません。あと数カ月でしょう。重要なのは、安定した製品版への期待が、開発版を圧迫し始めていることです。これは成熟の証であると同時に、安定した製品版の存在が多くの人にとって非常に大きな意味を持つようになり、簡単にはそれを捨てて、前に進むことができなくなったことを示していると思います。
--デスクトップLinuxの発展を阻んでいるのは技術的な要因ですか、それともマーケティング的な要因ですか。
さまざまな要因がからみあっています。技術面でも改善の余地は多々あるでしょうし、マーケティングや認知の面でもそうです。しかし、最大の問題は「ユーザーの惰性」です。
人間は慣れたものを使い続ける(そして好む)傾向があります。これが、この一年あまりの間、デスクトップLinuxの普及を阻んできた最大の要因であり、この傾向は今後さらに強まるでしょう--良い技術が存在しても、ユーザー側がそれに切り替えるための心の準備ができていないのです。私が商用デスクトップを重要だと考えている理由はここにあります。人々がDOS(後にはWindows)を身近に感じるようになったのは商用製品によるところが大きい。デスクトップLinuxの導入は、最終的にはこの分野で進むと思います。しかし、そのためには長い年月が必要です。
最後の点だけは大いに疑問。本当にデスクトップLinuxの普及を阻む最大の壁は、「ユーザーの惰性」なのだろうか?最大の問題は「Linuxの必然性を意識することがない」ことなのでは。「Linuxには必然性がない」とは言い切らないが、少なくとも一般のユーザーがLinuxへと切り替える積極的な理由を見出していないことは事実だと思う。また、積極的な理由を見つけ出せるほどの魅力が現在Linuxにあるとは思えない。むしろインターネット時代のユーザーは日常的な道具すら、驚くほどあっさりと新しい道具へと移行していくような気がする。
デスクトップLinuxがターゲットとするユーザーの姿が見えないことが、結果的に「良い技術」で終わってしまってしまう原因となっているのではないか。
「なんでWindowsよりもLinuxの方が魅力的なの?」
結局、Solarisを無視することはできるけれど、この質問から逃れることはできないんじゃないかなぁ。ま、デスクトップLinuxとして一般ユーザーにまで普及することを望むのならば、という仮定の上での話しだけど。
昨日のCNet Japanに面白い記事があった。
「トーバルズ、Solarisを斬る」という記事で、Linuxの生みの親であるLinus Torvalds氏がSun MicrosystemsがとったSolaris 10のオープンソース化という方針に対してコメントするという内容。...
Solaris10がトーバルズに斬られてる…【IT業界人のブログ挑戦日記】at January 08, 2005 00:20