経験への自負が高速道路利用の邪魔をする

by tanabe on December 27, 2004

「高速道路」への便乗を阻むもの

梅田氏のダイアリーでこのBlogのエントリを参照して頂いていた。

その内容を読んでいて感じたこと。今後、自分がこの件を考える際に注意をしないといけないと思ったことがあるので、メモとして残しておく。

高速道路の件を語るときに、割と否定的な意見が多いように感じた。これは、「楽して高い技術や知識を得ること」への反感が含まれているようだ。特に「自分が経験してきた過程で得たもの」を「高速道路方式では得られないだろう」という見解は目立った。

経験則は高速道路では到達できない知なのか

たしかに、これは一つの重要なテーマであると思う。なんせ経験知は、高速道路のコンセプトとは対極にあるので、これがもし事実であれば、この「経験則」というものは「渋滞突破」の一つの手がかりかもしれないからだ。いわゆる「ウサギと亀の論理」である。当然、最後は努力家の亀が勝つという理屈。

ただ、この意見は非常に危険な思い込みでもあると思う。そもそも今Blogでこの件に対して意見を述べている人の大半は、「経験が否定されることが都合の悪い人」であるからだ。都合が悪いは言い過ぎとしても少なくとも良い気分ではないだろう。自分が必死に身に付けてきた知識に今の若い連中はあっさりと到達し、あまつさえその努力の過程で得てきた経験知もあっさりと自分の物にできるとしたら、40代のコツコツと努力を続けてきた職人と同等のスキルを20歳そこそこの若僧が身に付けられるとしたら、自尊心が傷つけられることにならないか。この議論をするときに、この「経験が無駄だった」と知ることを無意識に恐れてはいないだろうか。当然の心情だが、ここに一番の危険があると感じる。

「自分の経験は貴重」という先入観は捨てるべき

経験知が貴重な自分の財産であることを証明するのは容易だろう。事実による裏付けをすることもすぐにできる。なぜなら、経験が物を言う世界は、「これまでにあった世界」だからだ。しかし、「高速道路のある世界」は新しい世界だ。この真実を知るために、事実だけによる裏付けを待っていると、そのスピードに乗り遅れるだろう。これからの世界を考えるのに、これまでの世界の理屈である「経験の重み」という先入観はむしろ邪魔になる。結果として、これからの世界でも経験知が一つの重要なファクターではあるかもしれないが、それありきでの議論を頭から信じることは避けなければならない。これまで最も重要と考えられてきたことだからこそ、真っ先にその真偽を疑ってかかる必要性があるだろう。